わたしの価値は誰かの期待で決まらない:断る勇気が教えてくれた心の守り方
今月6日に父が階段から転倒し9針縫うけがをして、ほぼ今回の支援はOが中心に動いてくれた。
心配事の9割は起こらないというけど、今回のことは10日ほどで解決したとはいえ、私とOにとっては晴天の霹靂のような出来事でした。
ただ、この期間に1つ、気づきもありました。
今回は自分の心を守るために気が付いたことのお話です。
期待に応えるために自分を犠牲にしてはいけない

「誰かの期待に答えなきゃ」や「誰かの手助けをすることで感謝され満足できた自分」という考えがあると、NOと言うことに、どうしても罪悪感を持ってしまうでしょう。
おそらく大抵の人が、「断ることは相手に悪い」と考える傾向にあると考えています。
私もその1人でした。この一件があるまでは・・。
妙に責任感を持ってしまい、断ったあとの罪悪感も期待に応えたあとの両親の満足そうな顔を見るのも好きだったから。
けれど、これではこの先ずっと縛られて生きていかなくてはならない。
今の自分を守るためには、自分のキャパは越さないこと・心を優先してもいいこと。
そして罪悪感を持たず「ただ断っただけ」と思うこと。それに気が付いたのだ。
期待に応えるため、自分を犠牲にしていたことはこれまでの人生にたくさんありました。
これ、自分では無意識にやっていたことなんです。
相手が嬉しそうにする、また、トラブルを回避のためもありました。
自分さえ我慢すれば丸く収まる・・みたいな・・。
だから、親だけではなくきょうだいからも、一部同僚や上司も「頼めば何とかやってくれる人(頼みやすい・言いやすい人)」という目で見ていたのかも?!と、今になって気が付いたんです。
今まで余計な人間関係の気苦労は、「相手の期待に応えようと無理をした自分・根底の自分の気持ちを無視した行為」が原因だったのかも・・と。
余計な罪悪感は持つ必要はない
と、いいつつも、じゃあ全部受け入れていたかと聞かれたら、断る場面もありました。
職場の飲み会も断ったこともありますし、無理なシフトも断ったことがあります。
おそらく私に欠けていたのは、断ったことに罪悪感やこだわりがあったことです。
人によっては「あいつは気にしてる(罪悪感持っている)」と見透かされ、上から見るようになった人もいたと思う。
変に「すみません」と謝りすぎたのもあるかな。
今回気付いたのは、急な要請にまず自身に「無理していないか?」と問いかけること。
「無理!」と思ったら罪悪感関係なく、ただ「無理だよ」とシンプルに答えれば、それだけのことだったんだって。
これ、いろんな人間関係に使えますよね。
とくにグイグイ自分の気持ちを優先する人に押されても、ただシンプルに答えればいい。
そのあと、その人からどう思われようが関係ないと私は考えます。
それに、ただ断っただけに対し逆切れするような人に問題があると思うから。
たとえその場で機嫌が悪くなったとしても、時間が経てば、「そっか、じゃあしょうがないね」って8割の人はそう考えるんじゃないかな。
自分を守るためには、相手との境界線は自分の意思で引くことが大事。
これは残り2割、執着する人もいるから。
だから、自分の身を守るためにも他人との境界線は自分から引くのも大切ですね。
最後に
アラ90の昭和初期の親はどうしても子供とは垂直な関係を取りますよね。
「子供は親のゆうことを聞くのが当たり前」みたいな?(笑)ま、昔は「友達親子」って言葉もない時代だから仕方ありませんが。
もし、老親との関係に重く感じる人は、そんな支配とか期待に応えるとかってさ、一緒にやめちゃいませんか?
「わたしがわたしを守る」ためにも。
別に期待に答えなくても、わたしの価値は下がらない。あなたの価値もです。
できることを無理なくやるだけで、十分期待に応えているのですから。
これからの座右の銘は、
「誰の期待にも応えず生きる・自分の期待に自分が答える」
そう考えると心が楽になれたのです。
最後までお読みいただきありがとうございました。